プロフェッショナルとアマチュア


 29日、金沢駅のあたりをうろうろしてたら、ラ・フォル・ジュルネ金沢のイベントに出くわしたんだ。県立音楽堂の前で、どっかの吹奏楽部が大所帯で演奏をしてたんだよ。思わず立ち止まって、そのパフォーマンスを観てたんだけど学生の演奏とはいえ充分楽しめたよ。野外で音楽聴くってのは良いもんだよ。


 で、その前の週は、高校のバレーの試合を観てきたんだけど、どことなくの知り合いや、馴染みのある学校が出てると、それはそれで見入るわけさ。なんの損得もなしに楽しめるんだよね。もちろん、目の前にいる大多数の人間はどんな人なのかも知らないし、誰が注目されてる選手で、誰が何年生なのかも知らない。でも楽しめるんだよ。



▲ちなみにコレは2010年の写真


 で、一方だよ、当然ながら世の中にはプロと呼ばれる連中がいるわけだよね。このプロを観る感覚とは微妙に違うことに気づいたんだよ。例えばメジャー・ミュージシャンのライブを観賞したりプロ野球の試合を観戦したりするのと、地元イベントでの学生の演奏や高校の部活の大会を観るのとでは違うってことだよ。まあ、当たり前のことかもしれないけど、ベクトルとしては、アマチュアの人達を観るような優しい気持ちでプロを見てないということなんだけどね。


 で、少し考えてみると、プロは身内じゃないから厳しい見方になる、プロには勝つことを絶対命題としてるから観てる方も完璧を求める、プロにはお金を払って観戦してる意識が働くから無理にでも楽しもうとするとか、いくつかの要因が思い浮かんだんだ。でもさ、ここで僕が感じた違和感ってのは、永続的なものか否かという部分にあるような気がするんだよね。つまりさ、今後も末永く応援したりサポートしていくとなると、やっぱりプロの人達なんだよね。アマチュアのどっかの部活やグループを5年、10年とサポートはしない。つまりはマチュアのパフォーマンスってものは、その場限りであり、その一瞬だけとわかっている部分に「楽しい」と思える最大要因があるような気がしたんだよ。


 例えるなら、桜と盆栽の楽しみ方の違いだろうね。僕らは、年中あらゆるメディアを通してプロの仕事を目にしてる、つまり盆栽の美を堪能しているわけさ。そこに、パッと桜が咲くとぐっと魅力を感じる。「花見に行かねば」と外に出る。そして感動する。でも桜はすぐに散ってしまう。それがわかっているから、散歩途中で偶然見かけた、まったく思い入れのない桜にでも充分な感動を覚える。一方、盆栽は派手さはなく、日々たいして代わり映えしないのだけど、自分が見守ってきたという愛着があるからずっと好きでい続けられる。そんなところか。



▲ちなみにコレは2008年の写真


 ちなみにラ・フォル・ジュルネ金沢は、毎年毎年金沢駅で見かけるイベントだけど、とても良い催しだと思うんだ。もちろんアマチュアだけでなくオーケストラ・アンサンブル金沢なんかの大御所も登場するんだけど、僕が好きなのはやっぱり駅構内の特設ステージで演奏してるアマチュアの演奏だね。僕はクラシックなんか詳しくないから、偶然見かけたパフォーマンスを満喫することで充分だね。まあ、いつかは違うくなるのかもしれないけどね。


◆ラ・フォル・ジュルネ金沢「熱狂の日」音楽祭2011 公式ウェブサイト