過去を捨てないのが30代からの生き方


 ユニコーンがニューアルバムを出したってんで、各メディアでお目にかかる機会が増えたんだよね。んで、まあ2009年のときもそうだったんだけど、1993年の解散に関して質問が及ぶと、「あの頃はギスギスしてた」とか「結局、仲が悪かった」的なことを笑いながら答えているわけだが、こういうやりとりを見てて感じるものがあったんだよ。


 それはさ、時間が経つことによって「どうでも良くなる」ことって大事なんだなってことさ。時間の浄化作用だよ。というのも、僕自身最近、昔の友人や知り合い、もう何年も連絡を取ってない連中と、一知り合いとしてゼロベースで再会する、お互いの近況や情報交換をして刺激しあうって、すこぶる大事だなと思っていたところだったんだ。



 金沢に戻ってきて、正直「やっぱ田舎だな」「のんびりしてるわ」とネガティブに捉える一面も多々あることは認めるよ。でもね、一方で、僕自身の近況として、小学生のクラスメイトと結婚したり、中学の部活に顔を出したりしてきてるんだよ。そして、そこから自分が生きてきた足跡みたいなものを再認識することが多いんだよ。金沢にいるとね。でもって、ここにヒントがあるように感じるんだ。僕がこの先、生きていく上での小さなヒントだよ。「忘れてないか? ここでお前は何を得てきたんだ? まだまだ得るものはあるはずだぞ。見方を変えてみろ」ってね。こういうのは田舎だろうがどこだろうが、生まれ故郷でしか得られないことのように思うんだ。


 あまり過去のことばかり意識すると、それは後ろ向きな考え方のようだけど、小学生は結婚なんてできないし、中学の時点では指導者として全体を俯瞰することはできなかったわけで、立場を変えて当時の様子を省みることに、とても意味を感じるんだよ。きっと昨今再結成をしてるバンドマン達も、当時があって今があることに、音楽的なひらめきをたくさん得ているはずだよ、きっとね。



 つまりさ、たとえ過去に厭な思い出があったとしても、それを無視して生きていくことは、とても非生産的な生き方なんだろうなと思ってきたんだ。特に中高生時代の思い出なんて、誰だって、今振り返ってみたら醜いものばかりなんだろうけど、そんなこと気にして逃げてたらもったいないなって思うんだよ。きっと、今彼ら彼女らと再会することで得られるものは大きいはずなんだ。だって、当時からは考えられないような人生を、それぞれが歩んでいるわけだからね。こりゃ、何かに活かさない手はないよ。


 だからね、もし年齢を重ねることによる恩恵があるとするなら、もうなかった事にしたい過去の事柄なんて、どうでも良くなってしまうことだろうね。だから、あえてそこに立ち返って、当時とは違った目線で当時を眺めてみること。それが20代という若さを失った先の生き方の一つ形のようにも思うんだ。