テコンドーをはじめるということ


 東京でミニコミ紙をつくっていたときの話だよ。きっかけは忘れたけど、地域でテコンドーをやってる教室の取材をすることになったんだ。テコンドーってのは韓国発の格闘技で、キック中心の空手みないなもんだよ。「テ」とか言ってるわりには「足」しか使わないってのがミソだけどね。


 まあとにかくさ、そのテコンドー教室ってのは、区の体育館を借りて、週の決められた曜日の夕方5時とか6時くらいから練習をしてるんだよ。で、おっさんが1人が顧問だか師範だか先生だかの立場でいて、あとは高校生くらいの子が2人くらい指導者兼練習生みたいな感じでいて、メインは小学生くらいの小さい子どもが5〜6人くらいだったと思うね。


 で、ちょうどその日は、この他に3人くらいの子どもがお母さんと一緒に入部見学にきてたんだ。多分、友達がやってるから自分もやってみたいとか言いだしたんだと思うね。そんで、ひと通り練習が終わったあとで、先生が「毎週こんな感じでやってるけど、どう? やってみようか?」みたいに声をかけると、子ども達は遠慮がちにもうなずくわけさ。テコンドーを習いたいってことだよ。でも、その一方で、母さん達が一様に少し厭そうな顔をしてたのを鮮明に覚えてるんだよね。「え? ホント? あんたホントにコレやるの?」みたいな感じで。結構露骨に厭な顔をしたように見えたけど、先生は子どもの返答にしか興味がないのか、とてもニコニコしながら、戸惑いを隠せないお母さん達に入部手続きのプリントを手渡してたけどね。



 でね、僕の中では、「母数の理論」ってのがあって、集団の母数が大きいところでこそ大きな価値を見つけられるって考え方があるんだ。つまり、小さなコミュニティ内で大きな活躍をするより、大きなコミュニティに入っていって、そこでたいした活躍ができなくても、サバイブしたことが大きな成長に繋がるってことだよ。


 だから、もし自分に子どもができて、テコンドーをやりたいと言っても、やらせないと思うんだ。ライバルが多いチームに放りこんで、そこで競争しろよって。でもね、この理屈だと、メジャーなものはよりメジャーに、そしてマイナーなものはどんどん先細りして、消滅していくってことになるんだよね。こういうのって、幅広い価値観が受け入れられ、そしてこの先人口がどんどん減っていく日本じゃ、あまり受け入れられないようにも思えてきたんだよね、最近。


 だからさ、もし、君に子どもがいて、「テコンドーをやりたい」って言い出したら、親として何て答えるか、少し考えてみてほしいんだよね。けっこう考えさせられると思うんだ。こういった競技人口の少ないスポーツ、もっとはっきり言うとマイナースポーツが、今後どれだけの価値を持ってくるのかって未知数だからね。もしかしたら、なでしこジャパンみたく、何年か先には大きな注目を浴びてるかもしれないしね。