「読書」ってなんだろう?


 きのう図書館に返却したんだけど、テレビでもおなじみの齋藤孝さんの『人はなぜ学ばなければならないのか』って本は、なかなかおもしろかったよ。でもね、ひとつひっかかったことがあって、この本の中で齋藤氏は、しつこいくらいまで「読書すべし」と「読書」を学ぶために必要なこととして奨励していたんだよね。


 確かに、本を読むことから「新しい何か」を得ることは僕もたいせつだと思うよ。でもね、読書から学び、考える力を得たとしても、案外、能書きだけ増えていって、実際他人から見える(見られる)部分、自分がどれだけ変わったのかって部分がおざなりになっていることが多々あるんだよね。中身は変わったけど、外見が変わってないってね。少なくとも僕の場合ね。で、これって大いなる片手落ちな気がするんだ。つまりさ、良い本を読んで、おもしろい映画を観て、すばらしい音楽を聴いて、おいしいものを食べて、適度に身体を動かして、そして、何より好き嫌い関わらず人間と会話をするところまで至らないと、「読書」をした価値ってのは活かされないと思うんだよ。つまりはさ、インプットにもバランスが大事ってことだよ。



 いつからか僕は読書メーターというサイトを使うようになって、いろんな本を誰彼となく競うような感覚で本を読むようになったけど、その分、メモを残して反芻したり、自分の文章を書く機会や時間がぐんと減ってしまっているんだよね。するとさ、何らかの情報を得ている実感はあるけど、どうにも消化不良な気がして仕方ないんだ。だからね、本当に「読書」ってものが、生きる上でそんなに重要なのかなと疑問に感じはじめていたんだよね。うん、まじめな話、世の中、読書だけじゃないって。


 知識を得るとそれだけで達成感があって満足してしまうけど、そこで終わっちゃいけないんだよね。たしかに『人はなぜ〜』の中でも紹介されてたけど、「読書会」などで、読んだ本の意見を言い合うところまでセットにして「読書」をすべきなんだろうね。まあとにかくね、読むだけじゃいけないってことだよ。そもそも、その本に書かれていることが正しい情報か否かもわかんないわけだしね。読書メーターのグラフと「学び」は正比例しないってことを覚えておきたいね。


◆読書メーター>junichi13