齋藤孝著『人はなぜ学ばなければならないのか』感想

 日本人が読書に費やす時間は、困ったことに減る一方です。
(中略)
 もちろん、気になる情報はインターネットでまめにチェックしている、友だちとは携帯電話でメールをひんぱんにやりとりしている、という人は少なくないでしょう。こんな人は、文字そのものに接する時間は意外と長いのかもしれません。
 また、仕事に必要な知識やノウハウを身につけるための勉強はしているという人も多いと思います。
 しかし、文学や哲学、芸術、科学など、日常生活や仕事を離れた分野の本を最近読んだでしょうか。そうした本を読むことは、腰を落ち着けて学ぶということです。現代の日本人はそんな学びをほとんどしなくなっているのです。
 生きる呼吸が浅くなっている――。私はそう思います。
 「生きる呼吸が浅くなっている」というのは、すぐに見返りを得られる勉強しかしくなっているということです。
(中略)
 学ぶことは、まさに「呼吸」をすることです。呼吸によって新鮮な酸素を取り込むことが身体に新たに活力をもらたすように、学びは新たな自分を形作る材料をもたらします。学んで新しい知識などを呼吸することによって、自分が生まれ変わるのです。
(後略)


 インターネットを利用するようになってから、様々な分野の情報や幅広い知識、これまで知らなかった世界の様子が、いとも簡単に得られるようになったんだよね。君も、ひとたびウィキペディアなんて読みはじめたら、自分の知識の幅が一周りも二周りも広くなったように感じちゃうよね。また、2ちゃんねるまとめサイトなんかも、「あー、いろんなこと知ってる奴がいるんだな。で、それがずらずらっとっとまとめられてて、ためになるわぁ」とかね。


 でもさ、それによって、つまり、ウィキペディアまとめサイトを読む前と読んだあとで、自分がどれだけ変わったかと問われるとさ、たいして変わってないよな、ってことに気づいちゃうんだよ。「ナンかムー大陸に関して読んだような気がするけど、ナンだったっけ?」「未解決事件ってナンかたくさんあったけど。え〜っと結局どんなのがあったっけ? てか、それって誰かに話したり、自分の仕事に活かす機会とかあるのかな?」みたいな。まあ薄々感じていたことだけどね。やっぱり、ネットでちょちょっと見かけた知識ってのは、否、そもそも知識ですらないのかもしれないけど、単なる情報の寄せ集めってのは、自分を変える、成長させるほどのエナジーになってないんだよね。


 同じようなことは、ドラマや漫画からも言えるかもね。2時間座り心地の良いイスに座ってるだけで、まさかヒト一人の何かが変わっちまうほど、人間って安っぽいもんじゃないと思うんだよね。つまりさ、ネットでも映画でも漫画でも何にせよさ、「む」っと気になることがあったら、時間をかけて追求して、あれこれ考え、そして他者と意見交換をして、否定され、賞賛され、それでやっと「学んだ」ことになるんだよ。まあ、そんなにびっくりするような意見でもないと思うけどさ。


 やっぱりね、クリックひとつや数時間の非日常体験で「学ぶ」ことができるわけがないんだよ。それで学んだ気になってしまうことが「生きる呼吸が浅くなっている」ということなんだろうね。簡単にいろんな情報を得られる情報化社会だからこそ、僕らは目の前の素材を、ゆっくりゆっくり咀嚼すべきなんだろうと気づかされたよ。うん、つまりさ、とても勉強になったよ。というか、これを踏まえて勉強を続けていかなければなと思ったよ。