ナイスプレーは2度観られない

北國新聞>時鐘 (2011.09/05)


 根っからのサッカー好きも、気まぐれな「にわかサポーター」も気をもむ日が続く。テレビ観戦もいいが、カターレ富山ツエーゲン金沢の地元勢が頑張っているので過日、久しぶりに応援に出掛けた。
 大勢の地元の応援団に交じって少数の敵方ファン。テレビでは頼りなげに映るが、実際は孤軍奮闘、意気盛ん。地元九分、敵にも一分の同情応援がしたくなる。生の観戦では独特の空気が味わえる。
 近くで若者たちが世間話を始めた。「しっかり応援せんかい」とたしなめる声が飛ぶ。テレビ観戦なら寝転がっても楽しめるが、スタンドはしつけの場でもある。
 試合後半に待望の1点。選手が密集していて、その瞬間を見落とした。テレビ観戦なら親切にも決定的瞬間を繰り返し再生してくれる。スタンド観戦は、見落とせばそれまでである。選手には及ばないが、試合の流れを探り、集中力を高めないと、観戦上手にはなれない。
 便利なテレビにどっぷりつかると、「観戦力」は鈍ってくるのかもしれない。何事によらず、便利さと厄介が表裏の「もろ刃の剣」はある。テレビのおかげで、逆に生で観戦する楽しさが分かる。


 これはね、“みんな読むよ”北國新聞の、いわゆる天声人語にあたる一面コラム「時鐘」ってやつなんだよね。でも、なかなかおもしろい部分を突いてるよね。


 僕もね、東京にいた頃、よく東京ドームとか神宮球場とかに野球を観戦に行ったんだけど、確かに、すべてのプレーは見逃すとそれまでなんだよ。というか、ナイスプレーをしかとこの目で観てたとしても、もう一度観たくなるのが心情で、バックスクリーンとかに瞬時に視線を移すわけさ。でも、バックスクリーンは次のバッターの紹介をするだけで、もう二度と今のナイスプレーを観ることはできないんだよね。で、実際は「球場で野球を観るってのは雰囲気を楽しめるのは良いが、リプレイを観ることができないのは不便だな」と感じていた部分も少なくないんだ。



 でもね、そもそもナイスプレー直後に、もう一度そのプレーを観たくなるって心理も、テレビ放送がそういうつくりをしてるからなんだよね。反射的にそう思っちゃうように洗脳されちゃってるんだよ。だから、生での観戦では、リプレイがないことを前提に、ナイスプレー直後はベンチの動きや裏方さんの喜び方なんかを観ておくってのも通な観戦ポイントとなるのかもね。そもそも、滅多に観ることができないからナイスプレーなのに、何度も観ようとすること自体が矛盾してるんだよね。


 見所があればリプレイされるだろう、重要なことを見逃しても誰かが教えてくれるだろう、チャンスを逃してもどうせまたやってくるだろうよ……。そうやって、人間は集中力を失っていくのかなと思ったよ。今、目の前で起こってることをしっかり観ておけよってことだよ。


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