野球で垣間見えた30代というもの


 きのうの話の続きだよ。


 てかさ、小さい頃から野球ってものを当たり前のように観てて、実際自分でプレイしたこともあって、まあともかく野球ってものを軸に物事を考えると、「人生」が止めどなく進んでいることを実感するよね。


 僕の場合、小学校2年のときにはじめて甲子園のKKを観て、高校生って生き物がとても大人にみえ、プロの選手はそれ以上のおっさん兼超人であるんだなと憧れるところからはじまってるんだよね。俺もいつかこうなれるのかな、なりたいなってね。で、やがて、3つ年上の松井のドラフトや同級生の福留の入団拒否を経て、3つ年下の松坂フィーバーあたりまでは、プロ野球に入団するってことを身近なニュースとして感じており、転じて、自分もいよいよ何かで華を咲かせられる年齢に達しているのではないかってことを強く意識してたんだよね。だって、似たような世代の人間があれだけの脚光を浴びてるわけだよ。プロ野球に入る、入らないってことでね。



 でもね、僕はそういった新しいスター選手を傍から眺めてるだけで、何をするでもなく、たいした努力をするでもなく時間が経っていって、気づくとプロ野球に入団する選手がほとんど年下になって、ああ、随分遠くへきたもんだとさみしくなったことを覚えてるね。で、いつの頃からか、球場で小さい子どもを目にすると、選手よりも応援したくなっちゃうんだよ、まじめな話ね。甘やかされているとか何とか言われながらも、こいつらは途方も無い可能性と、ありとあらゆる事柄に夢を抱く権利を持ってるんだな、昔の自分のように、ってね。


 僕らは、自分が頭にかぶっているキャップの球団からご指名がかかることを毎日本気で夢見るところからはじまって、今では、一流選手も引退したら30代や40代で第二の人生を考えないといけないから苦労するんだろうな、普通にサラリーマンやってたらこれからがおもしろくなるはずの時期なのにさ、なんて良いか悪いは別として現実を強く肯定する考え方を身につけているわけだよ。あとは、いくら甲子園で活躍してプロ入りしたとしても、活躍するのは早くて2〜3年後だなとか、達観した考え方も身についてるんだよね。この先、野球を観続けると、どういった観念が生まれてくるんだろうか。そして、いつか自分世代の人間が完全にプロ野球の舞台から姿を消したとき、僕は野球を軸にどんな風に世の中を感じ取るんだろうか。怖くもあり、楽しみでもあるんだ。