大人VS学生


 市民マラソンや駅伝に参加すると、たくさんの学生や学生チームが参加してるんだよね。学生チームってのは、中学や高校の部活動のチームも含め、大学の部活やサークルってことね。で、そこに混ざって、一般のいわゆる市民ランナーもいるわけさ。つまりさ、12歳くらいから60歳くらいの人間が同じフィールで競技をするってわけだよ。そして目的も実に様々で、趣味として楽しむだったり、記録や自分への挑戦だったり、まあ部活として走らされているだったりするわけさ。


 かなざわ市民マラソンのときは、スタート前は豪雨に見舞われており、偶然僕らの陣取った席の後ろにいた中学生くらいの参加者は、終始「よし! コレで中止だ!」「降れ降れ、もっと降って中止になれ!」とケラケラじゃれあってたんだよね。僕らのような一般ランナーはわざわざ金を支払って、目標を決めて、きたるこの日をむかえてるわけだけど、「部活」として参加してるティーンの連中なんかは「できることなら走りたくない」「早く帰ってテレビでも見てたい」「一応走りたくないとかサボることを望む姿勢を示しておきたい」とか、もう走ることへのベクトルもまったくバラバラなんだよね。



 でもさ、いざ走り出してみると、学生連中の方が、身銭を切って参加してるごく普通の一般人よりかは、俄然速いわけさ。俄然だよ。河北潟駅伝のときも「中学・同好会」の部では、1位〜3位が学生中学生チームだしね。ペースにしても、僕らはキロ4分台で良しとするが、中学生は平気でキロ3分台で走ってくる。10キロにしたって、僕は50分切りを一つの目標にしているわけだけど、高校生くらいだとどんなに遅い選手でも40分程度で走り、入賞の目安となる33分あたりが一目標になってるんだってさ。もう次元が違うよね。


 そう考えるとさ、人って衰えるんだなってしみじみ感じちゃうよね。否、衰えとかそういう話しでもなく、矛盾というか皮肉というか、それともっと深い部分なのか、まあなんかいろいろ考えちゃうよね。いい年こいて、中学生に勝てないってのも、「一体自分は何をやっているのか」と頭を抱えちゃうよ。「大人」になってしまったら、好きこのんで速く走りたくても、「日常」の中に相当な練習を割り込ませて、それ相応の年月をかけないことには、3年(実質2年半)くらいの中で、特にあれこれ考えることもなくしごかれている学生には勝てないんだよね。これが体力的なものなのか、単に毎日練習してるという部活という場に身を置く者との違いなのかわかんないけどね。


 でもね、これがボールや道具を使う競技だったら少し違うのかなと、ふと思ったんだ。野球やサッカーだったり自転車や剣道だったら、趣味でやってる大人VS一般的な部活の中学生で、どういう結果になるのかなと。「走る」という運動は、ダイレクトに個人の身体能力に左右される部分が大きいけど、競技の中に道具を扱うテクニックだったり相手との駆け引きって要素が加わってくると、スポーツとしての経験値だけでなく人間としての経験値も影響してくるからね。まあふと思っただけさ。答えはわかんないから、誰か調べておいてくれよ。