『約束された場所で』『アンダーグラウンド』感想


 アニメ「輪るピングドラムの影響で、『約束された場所で』『アンダーグラウンドを再読してみた。通常とは逆の順番で読んでみて、今回僕が強く印象に残ったのが「画一化」というキーワードだ。


 まず、(元)オウム信者のインタビュー『約束された場所で』からは、判に押したような真面目さ、信仰熱心さ、一途さを感じた。ちなみに僕は一般的な日本人と比べれば、宗教に対する嫌悪感というものはない。「そういう考え方もありだろう」という意見だ。特定の宗教を深く信仰することは決して悪いこととは思ってないので、オウムの信者に対しても「なんだ、こんなに真面目で、無垢な人たちなんだ」という、どちらかというと親しみすら感じたくらいだ。


 しかし、世の中から隔離された環境の中で、ある特定のベクトルに向かって生活をしている人たちからは平坦な人間味しか感じられなかった。1人の人間として、噛み応えのない味気なさを感じたわけだ。それは出家後だけでなく、幼少の頃の生活環境にもこれといった個性というか深みというのもがなく、「ふむ」と思う思考や価値観はあれど、「魅力」を感じる人間はいなかったというのが印象的だった。皆、ごく限定的な些細なことに執着するタイプであり、そして世間を忌み嫌っているという部分で均一なのだ。


 そして次に、被害者へのインタビュー『アンダーグラウンド』を手に取る。ここに登場するのは、「(元)オウム信者」のような特定の肩書きなどない、「何者でもない誰か」の話である。しかし、この「誰か」の、どこで生まれどんな環境で育ったかという人間としてのバックボーンが実に多種多様で魅力的なのだ。どんな人間であっても、その生い立ちをしっかりと文章に書き込むだけで、実に読み応えのある物語になるのだという確信すら持ったくらいだ。しかしこれだけ魅力的な生活を送っている人たちでも、地下鉄に乗って会社に行くという日常の部分からは人間味が消え、画一化され退屈な通勤という時間も過ごしているという一面もある。


 皮肉なのは、この、画一化された通勤の最中にサリンという「ねじれ」にはまってしまったこと。結果、皆一様に不都合さを感じる人生に至ってしまったということ。つまり退屈な通勤の途中で「あちら側」に行ってしまい、そのまま魅力のある「こちら側」の生活に戻れなくなってしまったとだ。今の生活にそれなりに満足していたにもかかわらず、世を捨て出家したオウム信者たちにも似た画一的な生活に引きずり込まれてしまったとも言える。(ただ、これはアクマで僕が受けた“全体的な印象”であって、被害者の中でも、とても前向きでポジティブにこの事件を消化してる方もいることも忘れてはいけない)


 アニメ「輪るピングドラム」の中では、名前を持つ登場人物以外の「その他の人々」は、一様に顔を持たないピクトグラムで描かれている。このコントラストがオウム事件の象徴のように思えた。生きることに躍動する「個人」が、世を捨てた無個性な「その他の人々」に危害を加えられたという部分。被害者たちは、「そっとしておいてほしい」「思い出したくない」など、人目を気にするように「その他の人々」に紛れるような生活を求める部分。オウム事件の恐怖と、怒りの矛先の掴めない空虚さは、画一化された無個性集団が相手だからではなかろうか。


 もし、このサリン事件から、被害者の声から、僕が何かを学んだとするなら、それは決して自分の顔と物語を捨ててはいけないということだろう。それは一見どんなに小さな器内の物語であっても、丹念に語っていけば、ちょっとした映画や小説に匹敵するほどの魅力的な物語になるわけだから。


◆輪るピングドラム


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