林郁夫著『オウムと私』感想


 僕は犯罪者ましてや殺人者なんて人間に対しての更正や反省にどんな意味があるのだろうか、そんなことをしても誰も救われないのではないかという意見なんだよね。そもそも被害者の心情よりも、加害者の人権を優先して話が成り立っていることに疑問を感じるし、単純に税金の無駄遣いだろという思いもあるんだ。手間暇かけて税金をかけて社会復帰させても、コイツらはそれを補うだけの生産・消費活動で還元できるのかよってね。


 ただ、この林郁夫の文章からは、か細いながらも灯りのようなものを感じたんだよね。この発表・告白により、何かが変わり、何かが救われるかもしれないってね。というのもね、おそらく加害者である林郁夫自身もある意味被害者であり、林郁夫の声には加害者といえども同情する余地はあると感じたんだよ。事実サリン散布実行犯としては唯一死刑を免れていることもうなずける気もしたんだ。


 後半のディープさといったら半端無かった。信仰心が厚く、医師としても有能で責任感のある人間がどうしてサリンを撒き、人が死んでいくところを何もせずに見ていなくてはいけないのか。まさにその苦しんでいる人を助けるための医学であり、人の苦しみをやわらげるための宗教なのではないのかという、林の葛藤やもどかしさというのは、僕の想像の域を超えているにも関わらず、自分自身も削られていくような心苦しさを感じたんだよ。とてもつらかった。


 ただね、一方でじゃあ他の信者たちはどうなのかとも思ったね。死刑判決を受けた者には、宗教という名目の元、人を殺すことに葛藤や迷いはなかったのか。彼らが抱く信仰心や正義感は薄っぺらいものだったか。彼らの思い描く真理とオウムの活動に相違はなかったのか。あったとしても情状酌量するまでもなく死刑を宣告される程度のものだったのか。否、実行犯の信者だってみんな同じだろう、宗教に対しての一途な思いがあったから出家までしたわけだ。では、(まあ最終的にはどうしてもここに行き着くのだが)教祖はどうして、このようなカルト集団をつくりあげるに至ったのか――。なんかまだまったく解明されていない事件なんだなと思ったよ。ましてや、いまさらのこのこと出頭してくる輩もいるくらいだしね。


 オウムの事件というのは、その元凶が口を開かない限りは何も解決しないことを改めて感じた一冊だったね。


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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
私は、父が医師、母が薬剤師の開業医の家庭に、六人兄弟の五番目として、昭和二十二年一月二十三日、東京で生まれました。-そして四十八年後の三月二十日、地下鉄でサリンを撒くに至るまで、優しく有能な心臓外科医は、なぜオウムに入り、狡猾な教祖に騙されていったのか。獄中で全存在を賭して綴った悔恨の手記。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 医師になるまでー一九四七年一月二十三日〜一九七一年三月/第2章 阿含宗との出会いー一九七一年四月〜一九八四年二月/第3章 オウム真理教入信ー一九八四年二月〜一九九〇年四月/第4章 出家生活ー一九九〇年五月〜一九九三年十二月/第5章 「踏み絵」と「慣らし」-一九九四年一月〜一九九四年十二月/第6章 假谷さん事件までー一九九五年一月〜一九九五年三月一日/第7章 地下鉄にサリンをまくー一九九五年三月二十日/第8章 逃亡、逮捕、そして自供ー一九九五年三月二十一日〜一九九五年五月六日