3月3日に前職の7周年パーティが行われるってんで、日帰りで東京に出かけたんだよね。まあ、もう少し詳しく説明しておいた方がいいかな。単に7周年ってくらいじゃ、わざわざ東京まで出ていかないよね、さすがに。つまりは、前職の会社の事業の譲渡が決まり、大きな区切りがつくタイミングということもあったんで、これまで所属したほとんどの社員はもちろんバイトやインターンも含めて集まってみようってとこまで話が広がってのパーティだったんで出向いたわけさ。


 僕にとってみれば、この職場は会社というよりサークルに近い感覚で、もちろん社員の年齢も若かったこともあるけど、働いて稼ぐというより学ぶ機会の方が俄然多かったわけだよ。単に消化した日というのが思い当たらないくらい刺激的で勉強になった毎日だったな、今思い返すと。また、組織やグループで「辞めていく人」ってのは、ほとんどの場合はファイド・アウトして消息が断っちゃうもんだけど、この職場の場合は幸いにもネットの仕事だったせいか、顔は合わさなくともどこかで繋がっていたから、「過去のグループ」って色褪せも少なかったんだよね。で、さらには辞めていった人間には、個々に気まずさみたいなものもあるはずなのに、まさかコイツまで来るのかってメンツがひょっこり顔を出してくるあたりにスケールのでかさを感じたな。うん、スケールがでかいってのはいいことだよ。だから、けっこうな人数が集まったね。


 でね、パーティは15時スタートいう話だったけど、ここでもスケールの大きさを感じさせるように、16時くらいになってやっとちらほらと人が集まりはじめるって具合で、19時過ぎの電車で帰らなければいけない僕にとっては、あっという間の集いだったね。何かを噛み締めたり味わったりするには時間が短すぎたな。



 ともかくね、僕がこのパーティで感じたことは、歴史があるもの、人が入れ代わっても続いているものってのには、口で簡単に言う以上の重みがあるってことかな。特に歴代メンバーがごそっと集結すると、それが知らない人間、初対面の人間であっても親近感を感じるんだよね。


 で同時に、自分がいなくたって物事ってのは自然に進んでいくんだなと感慨深く思ったね。もちろん自分の穴埋めをする誰かがいて、動かしていくぞという意志があるメンバーがいることが前提だけどね。そう考えると、自分の存在ってのは、自分が思ってるほど大きくないんだよね。大きいのは自分じゃない誰かの存在、自分のあとを引き継ぐ誰かの方なんだよ。だから、他人の偉大さに感謝したり、他人がいてくれること、名乗りでてくれること、そしてその他人と自分とが、何かや誰かを介して繋がることにこそ注目すべきなんだよね。


 グループや組織、もちろん地域、市町村でも、人が抜けることや、いなくなるという事態は物事を進めていく上で必ず発生するわけさ。でも、めげずに丹念にその穴埋めしていくことで歴史ってものが築かれていくんだよね。そうやって誰かと共に歴史を築くことが、絆というものなんじゃないかなと感じたんだよね。本当の絆というのは、一時的な繋がりなんかでつくられるもんじゃないと思うな。



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