卒業式で感じたこと


 3月10日、今年も中学校の卒業式に、ちゃべちゃべと顔を出したんだよね。で、そこで思ったことを徒然なるままに書いてみるよ。


 まずね、「祝辞」として、学校長、教育委員会、PTA会長の御話があるんだけど、コレ、長いよね。まあ、「御挨拶」ってモノ自体が長く感じるのはしょうがないとしても、中学生相手にここまで大人の形式に沿った「御挨拶」をしなくてもいいんじゃないかな。そもそも、この人たちがどういうことを喋るのかを注意して聞こうとしていた僕ですら、さすがに3人もの人間の似た様な話を聞いていると集中力が持たなくて、上の空になってる時間帯があったんだよね。だから中学生にとっては、もっとどうでもいいような話として感じてると思うな。でねその退屈な時間を利用して、もし僕がPTA会長とかになって、卒業式で挨拶してくれといわれたらどうしようかなとか考えちゃったね。で、思いついたのが、こうさ。「男子はもっとカッコよく! 女子はもっと美しく! 君はちは明日から、自分の想像以上に大きく成長していきます。そんな自分にどうぞ大きな期待をもって卒業していってください。おめでとう!」くらいにして、終わらせちゃうね。悪くないだろ。だって、自立とか努力とか成長とか地域のためにとか感謝とか門出を祝ってとか、その手の単語を並べたって、あんまり聞いてないもん、みんな。


 次。保護者の連中ってのは、手にカメラやビデオを構えて、撮影に勤しんだり、夫婦で隣同士「あ、○○君だ」などちょっとお喋りをしたり、寒ければ着てきたコートを羽織ったり、さすがに携帯をいじってる人は見受けられなかったけど、まあそれなりに自由に時間を潰せるんだよね。でもね、生徒の方、特に在校生なんかは、そもそもあまり緊張感もなく、よくわかんないけど参加してるタチなのに、きちんと行儀よく座っていないといけないんだよね。もちろんお喋りは禁止だし、あんまりソワソワ動いていたり居眠りしたりしてくると、見回りの先生がやってきて注意されるわけさ。ああ、たいへんだなと同情しちゃったよ。大人の方が、よっぽど大人気ないことしてるのにさ。



 ちなみにね、写真じゃわかりにくいけど、卒業証書授与では、生徒を正面から撮影した映像が、舞台右側にモニターで映しだされてるんだよね。これで、普通だったら生徒の背中しか見えない卒業証書授与も、バッチしその表情や様子が伺えるってわけさ。便利な世の中になったね。まあそんな鮮明な映像じゃなかったけどね。


 でね、式も大詰め、卒業生からの「答辞」で、「何でもない時間が有意義な中学校生活だった」というようなセリフがあったんだよね。思わずメモっちゃったよ。いい言葉だと思ったよ。これって、若い人にだけ許された時間の感じ方だなと。大人になってくると、有意義な時間をつくりだすためにお金をかけたり、知恵を絞ったり、お酒でごまかしたり、むしろ有意義な時間をつくり出せるか否かが一つの能力、魅力となってくるわけだけど、ティーンになりたての彼ら彼女らは、そんなもん、吐いて捨てるほどあると。すごく深い真理だなと思ったね。


 まあ僕も卒業式に出る縁があるのは来年までなんだけど、多分来年は仕事上の都合で出席できそうにないんだよね。まあ、客観的に卒業式ってものに参加するといろいろな発見があるてことだよ。君も機会があったらどこかの卒業式に忍び込んでみたらいいと思うよ。