ナゴヤ球場についての長い話

ナゴヤ球場


 ナゴヤ球場に来るのは、かれこれ20年ぶりとかそんなもんだ。小学校の1年とか2年生とかそれくらいのときの夏休みとかそんな時期に来ているはずなんだね。よく覚えてないけど。でも、確実に2回は来てるんだ。もちろん家族でだよ。で、たしかそのときのカードは中日ドラゴンズ大洋ホエールズだった。この対戦カードだったことははっきり覚えているね。


 僕らファミリーはどういうわけかレフトスタンド寄りの内野席で観戦したんだ。野球に詳しくない人のために一応説明しておくけど、野球場には大雑把にいってレフト側で応援する人とライト側で応援する人で分かれるんだ。まあ、もう少し正確にいえばバックネット側とかいろいろあるけど、そのへん気になる人は自分で調べといてよ。で、たいてい地元のチームというのはライト寄りの席で応援すると相場が決まってるんだね。つまり中日の試合を観に中日の球場に行くなら、当然ライト寄り席で応援するんだよ、普通はね。でも、僕らはレフト側の席だった。どういうわけか知らないけどね。当時の僕も「なんでレフトなんだよ」って思ったんだよね。その頃から野球にはちょっとばかしうるさかったんだよね。どこで観るかとかそういうことに関しても。


 まあ、とにかく僕らはレフト側にいた。でもレフト側でうれしいことがひとつあって、当時の中日のレフトは大島という選手が守っていたんだ。もちろん親戚とかそういうんじゃなくて、偶然僕と同じ名前ってだけの選手だけどね。もちろん僕は中日の中でもこの大島って選手が好きだった。名前が同じだからだよ。子どもの好き嫌いのきっかけなんてそんなでしょ。まあ、うれしい反面、まわりにいる大洋ファンの人は「おいこら、大島、バカヤロー!」とか野次ってんだよね。こういうの子どもながらにもげんなりするよね。自分のことじゃないってわかっててもさ、バカヤローとか言われていい気はしないわけさ。


 あと覚えているのは、コーラの紙パックを閉じているピンみたいのかな。うまく説明できないけど、とにかく白いピンがあるんだよ。で、当時のキッズはみんな、そのピンを帽子のツバの部分にはさんでたんだ。多分そういうのが流行ってたんだよ。もしかしたら、イチローとかもやってたんじゃないかな。確認取れないからわかんないけど。まあ、とにかくもちろん僕も真似したね。なかにはたくさんはさんでるヤツもいて、そういうの見るととてもうらやましかったし、強そうにも見えたな。中日の帽子のツバにピンをはさんでるヤツってことだよ。


ナゴヤ球場


 で、コーラーを買うと、相変わらずそのピンがあったんだよね。残念ながら帽子をかぶってなかったので、ツバにはさむことはできなかったけど、お土産に持って帰ることにしたよ。で、そんなもん持って帰ってどうするかというと、一応父親の遺影の前にでも飾ろうかと思うんだ。そういうのちょっといかしてると思わない? 自分でもいいアイデアだと思ったよ。ホント。


 てか、そもそも僕の父親は何を思って、ナゴヤ球場なんかに僕らを連れて行ったんだろうね。だって大の巨人ファンなんだよね、うちの父親は。もし自分に子どもができて、阪神ファンとかになって、甲子園で野球を観たいとか言い出しても、僕なら絶対にチケットなかとるもんかと思うけどね。もってのほかだ。自転車でも買ってやるから我慢しろっていうね。絶対。でも僕がナゴヤ球場のレフト側で野球を観たのは事実なんだよ。しかも2回もね。


 試合が終わった後、僕はレフトの方に行ってみたんだ。2軍の試合って、好きなところに好きなように行けるんだよ。これもまたいかしてるよね。まあ、とにかくレフト側の応援席に足を運んでみたんだけど、当時僕らがどこにいたのか、まったくわかんないんだよね。来てみたら思い出すんじゃないかな、とか期待してたけど、ちっとも思い出さなかったね。まいっちゃったよ。こんなに狭かったかな、とは思ったけど、それ以外は何も思い出さなかったし、何も蘇ってはこなかった。もう随分昔の話しだし、もう随分といろんな物事が変化してしまってるからね。しょうがないだろうな。


ナゴヤ球場


 ただ、僕は一応の満足をしてナゴヤ球場をあとにしたんだ。これはマジな話だよ。特に幼い頃のことは何も思い出しはしなかったけど、とても満足だったんだよ。ホントに。