子供を平日欠席させて…×イチローの主張

◆■[雑記][WEB]「子供を平日欠席させてディズニーランドに…ありでしょうか?」琥珀色の戯言 (2011.11/17)


参考リンク:父親 「子供を平日欠席させてディズニーランドに…ありでしょうか?」(痛いニュース)


最初にこのタイトルを見たとき、僕は「まあ、ありなんじゃないかな」と思いました。

でも、きっとこういう親に対して、ネットの「正論原理主義」の人たちは厳しく反応するはず!

……と予想していたのですが、実際はそうでもなかったみたいです。
(後略)


 少し前に話題になった話だけど、僕がはじめて“父親 「子供を平日欠席させてディズニーランドに…ありでしょうか?”というトピックスを目にしたとき、「アリはワケねーだろ。どっかのCMじゃないんだから、何でもアリだと思うなよ」と憤りすら感じたくらいなんだよね。個人的な理由で学校を休ませるなんて、モンスター・ペアレントを通り越して、ただのアフォかとね。


 でもね、蓋を開けてみると、2ちゃんねる上では「まあ、いいんじゃん。休ませて家族でディズニー行けよ」的な意見が多かったんだ。僕はいささか拍子抜けしたね。で、その寛容な意見に流されるように、自分の意見を深く考えるのをやめちゃったんだよね。つまりね、「子供を平日欠席させてディズニーランドに連れて行く」ことに対しての是非を問うことをやめちゃったんだよ。「別にどっちでもいいや」ってね。「ダメだろ」と思うことを放棄したんだよね。この辺が、多数派の意見に簡単に揺さぶられるという現代人の悪い癖だね。


 でもね、上記のブログのfujiponさんは、僕とは違ってもう少し深く考えたんだろうね。上記のエントリの後半に、「イチロー選手が、糸井重里さんとの対談で、こんなことを言っていました」と、以下の記事を紹介してるんだ。

「キャッチボール〜ICHIRO meets you」(「キャッチボール〜ICHIRO meets you」製作委員会著・糸井重里監修)

イチロー:これね、大事なことなんですよ。

 僕がよく小さい子に言うのは、「野球がうまくなりたかったら、できるだけいい道具を持ってほしい。そしてしっかりとグラブを磨いてほしい」ということと、「宿題を一生懸命やってほしい」ということ、なんですね。

 宿題をやる意味は、宿題そのものだけではないんですよ、実は。

 なんでぼくがそれを大事だと思っているかというと……大人になると、かならず上司という人が現れて、何かをやれ、と言われるときがくると思うんですね。

 子どもにとっていちばんイヤなことは、勉強することなんです。

 よっぽど勉強が好きな人はおいておいて、キライなことをやれと言われてやれる能力っていうのは、後でかならず生きてきますよ。

 ぼくが、宿題を一生懸命やってよかったなと思うのは、そこなんですね。

 プロ野球選手という個人が優先される場所であっても、やれと言われることがものすごくあるわけです。だったら、一般の会社員になって、そんなことは毎日のことのはずです。だから、小さい頃に訓練をしておけば、きっと役に立つと思うんです。

 やれと言われたことをやる能力を身につけておけば、かならず役に立つ。

 「自分は野球が好きだからそれだけやっていればいいや」といって宿題を放棄してしまったら、おそらく、後で大変な思いをすると思うんですよね。


 このイチロー選手×糸井重里さんの対談本『キャッチボール〜ICHIRO meets you』は僕も随分前に読んでおり、しかもこの「キライなことをやれと言われてやれる能力」のことは、強い感銘を受けてたんだよね。だからあちこちにメモをとったし、当時教えていた部活の子どもたちにも、このくだりを紹介したくらいなんだよ。


 つまりね、何を言いたいかというとね、ひとつの意見の食い違いを少しでも掘り下げて考えてみると、きっと過去に見たり聞いたり読んだりした何かと結びつけることができるってことだよ。でね、結びつけてはじめて、過去の見たり聞いたり読んだりした何かの意味ってものが生まれるんだよね。


 だからさ、僕は君とここで、「平日に学校をサボって遊びに行くこと」の是非について語り合おうなんて思ってないんだよね。僕が言いたいことは、他人と意見が違ったとき、特に自分の意見がマイノリティだったときこそ、立ち止まって深く考えるべきだということだよ。そうすれば、きっと何故自分がその意見を持ったかの基となる過去の経験値を引っ張り出してくることができ、自分の考えの軸になるものをよりはっきりさせることができるんだよね。僕の場合は、イチロー選手の主張に影響され、“イヤなこと”から逃げないという意味において、親が「学校を休んでいいよ」なんて言うのは言語道断だと判断したんだと思うよ、きっとね。こういったロジックが自分の中ではっきりしていれば、たとえマイノリティな意見であっても、強い主張としてブレない姿勢を保つことができるわけさ。こういうのって大事だと思うんだ。